9.スカルノのインドネシア
1945年8月の日本の敗戦後、インドネシアは独立を宣言するが、実質的な独立は、オランダとの戦争を戦ったのちの1949年12月のことである。その後、1966年までのスカルノ時代をとおして、〈建設〉(プンバングナン)が何回となく政権によって口にされた。しかし、政治・経済的な混迷もあって、建設の実が末端の村にまで届くことはなかった。建設は、政治的モニュメントや大競技場のように、首都ジャカルタに集中したのである。コトダラムでは、この時代、イスラーム知識人であった村長の指導のもと、いくつかの「公共事業」が遂行されている。老巧化した屋根付き橋の架け替えや、村内の三日月湖の大々的な清掃作業である。政府援助の欠如にもかかわらず、これらの事業が可能だったのは、住民のゴトン・ロヨン、相互扶助、より正確には勤労奉仕があったからである。指導者とはどのような人であるべきか、公のためとは、についての了解が、村長や村人のあいだで共有されていたからこそ、国家権力の強制力がなくとも、勤労奉仕を動員することができたといえよう。
スカルノ時代の建設を代表するジャカルタのモニュメン・ナショナル、独立記念塔。
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