8.公のために
西スマトラからもどったイスラーム知識人は、社会のため、民衆のため、民族のため、つまり公のためになにかしようとの意識を、西スマトラで高めてきた人たちだった。その表れの一つが、村の中心地に三年制のイスラーム学校をつくることだった。当時のインドネシアには〈開発〉(プンバングナン)という言葉は存在しなかった。インドネシア知識人のあいだでは、今世紀初頭から〈進歩〉(クマジュアン)が合い言葉となっていたが、進歩のための鍵は教育であると考えられた。コトダラムにおけるイスラーム学校の建設も、進歩のための布石であったということができる。進歩は、やがて、〈運動〉や〈独立〉といった言葉の前に勢いを失うにいたる。オランダ語教育を受けたエリートが存在しなかったコトダラムでは、イスラーム知識人が、西スマトラより遅ればせながらの、ナショナリズム運動の担い手となった。
〈クーポン時代〉のグロタ・パンジャン、公のためにつくられた屋根つきの〈長い橋〉。村内自助努力による「公共事業」の走りである。
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