7.イスラーム知識人の誕生
クワンタン地方に出稼ぎにやってきたミナンカバウ人の故郷、西スマトラは、クワンタンより100年近くも前にオランダ植民地支配に組み込まれ、18世紀末以降はコーヒー栽培をとおして貨幣経済にも親しんでいた。こうしたこともあって、ミナンカバウはクワンタンの人々より、いろいろな面で洗練されていた。たとえば、学校教育の面では、一般教育、イスラーム教育の両分野において、西スマトラはクワンタンよりはるかに進んでいた。1920年代末になると、村に出稼ぎにやってきていたミナンカバウ商人、ゴム採取労働者の開明的宗教観に刺激され、イスラーム教育のため、子供を西スマトラに送る親がコトダラムにでてくるようになった。西スマトラ遊学組の第一陣が1930年代半ばに帰郷する。彼らは、学校教育を受けたイスラーム知識人として、年齢が若いにもかかわらず、人々の尊敬を集める存在となった
クルアーンの読誦法を勉強している子供たち。こうした勉強も、イスラーム知識人が西スマトラからもたらしたものである。
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