岩田慶治の指摘
岩田慶治さんは文化が形をもった生き物であるのにたいして、場は形をもたぬ生きもの、捕えても捕え切れず、切り刻んでもたちどころに再生する怪物であるといわれるのだが、文化に形が在るくらいなら、文化を生み、受け渡しをする、いわば文化の鋳型あるいは経路ともいうべき場に形がないわけがない。無いと見えるのは専ら産物である文化の方から、つまり岩田さんのおっしゃる柄の方から地〈場〉を求めようとするからで、千差万別の柄に惑わされて地の形が見えなくなるのだとは、岩田さん自身の指摘だ。
8 カリンガ征討戦を契機に、仏教広布に転じたアショカ王の故事は、乾燥ステップから森の世界へ入ることで猛々しい心が生命の仏性に目覚めた転成を物語るかのようである。ガンディーの非暴力まで続いた平和主義の伝統は国家の枠組みの前では無力なのか。
(カラチのインド博物館、アショカ王のライオン柱頭)
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