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4. 東南アジア型社会 -農民と移動-
私は、かつてマレー農村で住民の調査を行なったことがある。家族に関して、その時の経験を少し述べよう。いちばん初めは35年ばかり前の話である。この時、私はマレー半島東海岸のコタバルという町を初めて訪ねた。運転手つきの個人の車をチャーターして町とその周辺を見て回ったのだが、そのうち運転手が自分の家まで連れていってくれた。もちろん彼自身の家だと思っていた。しばらくしてそれが、彼の奥さんの家だということがわかった。マレー人の間では、結婚後、夫側の家に住んでもよいし、妻側でも、新居でもよいという慣習があるのだが、当時の私の頭の中には、連れていかれた家が夫妻の家であるという固定観念がしみついていたのである。
その後私はこの地方でかなり長期の調査をした。村の家々を訪ね歩いているうちに、孫が祖父母と一緒に暮らしているケースがかなりあることに気が付いた。両親は、川の上流部のジャングルでゴム園を開いており、こどもが祖父母に預けられている場合や、離婚した娘の子が祖父母とともに住んでいる場合、子沢山でそれらの子の一部が祖父母と暮らしている場合など事情はさまざまだが、家族の構成にこのような融通性が顕著なのである。形式的にいえば、核家族が多い。しかし、核家族の周辺にこのような付属的なメンバーが自由に付け加えられているのである。親が十分に土地をもっている場合には、男女を問わず何人かの子の夫婦が親の家の近くに住む。開拓地などで十分に土地の手当てができるところでは、このようにして家族を拡大させていく。他方、あまり有利ではない土地に住むものの子は、このようにより有利な空間に移り住む。移動性が低いと思われがちな農民の世界にも、移動に対する適応が仕組まれている。
ポンプで水をかけて泥水をつくり、含まれている金を採取する。
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Contents
1、アジアの中の東南アジア
多様な側面
異質の要素
2、類似のなかの異質
2-1、都市の構造
多民族的構造
2-2、移動性
出稼ぎ
焼畑
3、小人口世界
4、東南アジア型社会
農民と移動
異質への親和性
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