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2.類似のなかの異質
(2)移動性-出稼ぎ-
出稼ぎは、東南アジアの内部からももちろん行なわれた。ボルネオ島に住む少数民族がはるばるシンガポールまで出稼ぎにきたことも知られている。出稼ぎに出かけるのは、遠隔地からであれ、東南アジア内部からであれ、主として男性であった。このため出稼ぎ先は、都市であれ、ゴム園であれ、著しい男性過剰の世界であった。この世界に、供給された女性が、「からゆきさん」として知られる日本からの娼婦や水商売の女たちであった。面白いことに、東南アジアの都市などに居住する人々の性比(女性に対する男性の比率)を調べると、女性の方が男性よりも多い状況は、日本人とタイ人に特徴的に見られる現象であった。日本では、かつての江戸が男性の割合が多かった都市として知られている。このような人口的な構造を背景に、日本に特異な遊廓とその文化が発達したともいえる。東南アジアでは、そのような文化が熟成するには、状況はあまりにも直接的かつ赤裸々であった。
動くのは、都市への出稼ぎ者ばかりかというとそうではなかった。東南アジアの農業自体のなかにも移動的な要素が多分に含まれていたのである。
日本人が土地に対して抱く愛着についてはよく知られている。この頃でこそさほど意識されなくなったが、いわゆる猫の額程の土地に注ぎこまれた労働は膨大なものであった。ある土地では、石垣を築いて、水漏れがないようにそこに粘土を張って、千枚田のような水田を造る気の遠くなるような作業を実施した。また、あるところでは、一枚一枚の田に水を供給するために、きわめて厳重な水利の規則を定めた。これらは、あるいは米生産量の調節にともなう減反の必要から、あるいは大規模水利事業の完成のために、ある程度忘れられようとしているが、それでも日本人の意識にしみついているものがある。
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Contents
1、アジアの中の東南アジア
多様な側面
異質の要素
2、類似のなかの異質
2-1、都市の構造
多民族的構造
2-2、移動性
出稼ぎ
焼畑
3、小人口世界
4、東南アジア型社会
農民と移動
異質への親和性
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