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第二十一回 「開発現象と地域研究」 | |||
Contents 3.地域研究としての開発現象研究 |
3.地域研究としての開発現象研究 それでは、総合的に開発現象を把握するとはどういうことであろうか。ここで考えたいのは、地域研究として総合的に開発現象にアプローチするやり方である。 地域研究という試みが興味深いのは、地域もしくは地域における出来事や現象を、総合的に理解しようとする点にある。既存の学問が、研究対象を生態、社会、文化といった局面に分け、その鋭い切り口で研究対象を分析してみせるのとは異なり、地域研究は、地域や地域の出来事、現象といったものを、何とか全体として把握しようとするのである。 例えば、立本成文氏は、地域というものを、生態、社会、文化システムの相乗作用(社会文化生態力学)としてとらえることを提唱している。また、別のいい方では、地域とは、生態、社会、文化システムが相互に入れ子構造となっている全体という(『地域研究の問題と方法』京都大学学術出版会、1996年)。このように、地域というものの全体を把握しようとすれば、このような枠組みは当然必要になってくる。しかし、この枠組みは、どうも現実の調査には重すぎる。というのも、この枠組みは地域全体を前提とした理論的議論であり、参照項が多すぎて、目の前の出来事や現象を見ようとするには、複雑すぎるように思えるからである。それでは、このような理論的パースペクティヴを保持したまま、もっと手頃な研究手法がないものだろうか。 私がいま考えているのは、B. ラトゥール(B. Latour)やM. カロン(M. Callon)などが提起しているアクター・ネットワーク論とその手法を地域研究に応用し、それを開発現象にも適用してみることである。本来、アクター・ネットワーク論は、科学技術が作りだされる過程をフィールドワークによって明らかにする人類学的作業から生みだされてきたものである。彼らの見方は、研究対象とする出来事や現象を、そこに登場する、人、言葉、モノといった異種のものからなる比較的安定したネットワークとしてとらえ、そのネットワークの集積として世界を読み解こうとするのである。ここでは、地域や地域の出来事を社会、文化、生態の間の相乗作用や相互入れ子構造といういい方ではなく、人、言葉、モノといった異種なもののネットワークとしてみようというのである。 いずれにせよ、ここで強調したいことは、アクター・ネットワーク論がもっている、実は「当たり前」な事象のとらえ方についてである。つまり、われわれの目の前にある事象は、そもそも社会、文化、生態などに分かれているのではなく、本来、人、言葉、モノがネットワークとしてつながった一つの全体(うつろいやすいものではあるが)であるということなのである。そして、この「当たり前」な見方で世界をとらえなおそうということなのである。
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