※これは主に女子中高生に研究活動の様子を知ってもらうために、本研究科男女共同参画委員会が現役の学生に依頼して、執筆してもらったエッセイです。
鳥好き学生ラオスでツバメ猟をする:フィールドワークを通じて見つめなおした自分
佐々木恩愛(東南アジア地域研究専攻・大学院生)
ラオスでの地域研究
私は、東南アジア大陸部にあるラオスという国で、野生動物の食利用について調査を行なっています。今の日本では、野生動物の狩猟には狩猟免許が必要ですし、免許を持っている人でも狩猟は生活の一部となり、生きる糧となっている人はあまりいないはずです。一方で、ラオスの多くの地域では、免許もなしに、哺乳類や鳥類など多様な野生生物が捕獲でき、それらが日々の食卓に並んでいます。私は、そうした野生動物の利用という側面から、ラオスという地域を深く知ろうと、特に渡り鳥であるツバメの利用について調査をしています。
大学院に入る前
私は小学生の時、鳥が大好きでした。ある冬の日、地元新潟県で古くから行われる潟湖での鴨猟で、猟師さんが撃った野生の鴨汁が振る舞われる祭りに行きました。鳥が大好きだった私は、「鴨は食べない」と頑なになっていましたが、一口食べてみると、あまりの美味しさに食べることへの抵抗感は吹っ飛び、次々鴨汁を口に運んでしまいました。この時の「鳥は大好きだけれど、それを食べるのも好き」という矛盾した気持ちがずっと印象に残っていました。
中学・高校を卒業し、大学へ進学する際は、学びたい具体的な学問分野を考えることができず、どのような仕事に就きたいかという基準で国際支援について学べる学科を選びました。しかし、そこで地域研究という学問分野を知り、調査方法の一つであるフィールドワークが明らかにしてきた、自分の中の「あたりまえ」を覆すようなさまざまな世界について知りました。そこで語られるアジアやアフリカの地域社会では、人々は野生生物に関する豊富な知識を持ち、多様な野生生物が食べられていました。そのような自然資源を生活の糧とする人々の営みや社会に興味が湧くにつれ、自分が鳥に夢中だったことや、鴨汁を美味しく食べてしまった記憶がうっすら思い起こされてきました。世界には、「生き物を親しく(身近に)感じること」とそれを「捕らえて食べること」が矛盾なく成立する社会がある。そこへ行って、彼らが、何を、どのように食べているのかを実際に見たい。そんな思いで京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、通称ASAFASに入り、辿り着いたのがラオスでした。
ASAFASに入ってから

村で捕獲されたツバメ
ASAFASに入学し、調査地をラオスに決めると、1年目から言語習得のためラオスに半年間滞在し、2年目の夏からはラオス北部のシェンクワン県という地域でツバメ猟の調査を始めました。繁殖地である東アジアからツバメが渡ってくる時期に行われるツバメ猟は、限られた季節だけに行われる生業ですが、その短い期間に地域一帯で非常に多くのツバメが捕獲されます。村に入ると、朝から夕方まで外でツバメ猟の調査を行い、狩猟方法、ツバメの種類や捕獲量などを調べ、村の人たちに教えてもらいながら実際にツバメも捕まえました。子どもも大人もツバメが飛来し始めると、「ツバメの季節がきたぞ!」と言わんばかりに気合いを入れて出かけていき、ツバメを捕まえた瞬間のとても嬉しそうな姿が印象的でした。
実は10月頃のツバメ猟の時期は、同時に稲作の収穫シーズンでもありました。私はツバメ調査だけではなく、ホームステイ先の家族について行き、お互いの田んぼを協力して周る村の人々と一緒に、2週間毎日稲刈り、稲の運搬、脱穀などの収穫作業を行いました。1日の休みもなく、手作業で稲刈りなどを行う村の人々の体力には圧倒されてばかりでした。作業中、村の人々は集中して黙々と仕事をする、わけではありません。稲刈りをしながら、村の人は本当によくしゃべります。ツバメの話、家族の話、最近隣の郡で飛行機が墜落した話…。おばちゃんたちは何度も私に「彼氏をゲットしてこの村で家族を作りなさい」と言い、稲刈りをしている独身男性の腕を引っ張ってきては、「この人はどう?」と聞いてきて、私も連れてこられた男性も気まずくて仕方ない瞬間を幾度も作りました。

村の人と一緒に稲刈りをする筆者
稲刈り中はおしゃべりだけではなく、ときどき歓声が上がることがあります。ある時、並んで稲刈りをしていたお兄さんが急に走り出し、大きなヘビを捕まえると、みんな手を止めて、「おお!」「大きい!!」と大盛り上がりしました。ヘビだけでなく、カエルやアヒルなど、誰かが生き物をとるたびに歓声がわきます。捕った本人は誇らしげな顔をしながら、「ヘビ怖いの?すごく美味しいのに」などと言いながら、大事そうに袋に入れて持って帰りました。捕獲に失敗して獲物に逃げられると、ブーイングの声が溢れますが、捕れても捕れなくても、その瞬間の人々は本当に楽しそうです。1日8時間以上稲刈りをしていると、腰や背中が痛くなり、みんなのおしゃべりすら鬱陶しく聞こえるほど疲れてしまうのですが、誰かがなにかの生き物を追いかけ、みんながわいわい盛り上がると、まだ仕事が続けられそうという気になるのです。そして、稲刈り中に生き物を捕まえて楽しそうしている人々の姿は、ツバメを捕まえて喜んでいるときの姿と同じように見え、人々の野生動物に対する向き合い方を「親しく感じる」や「食べる」以外から考えるきっかけになりました。
フィールドワークをしてみて
今お話しした稲刈りの話やそこでの村の人々との会話は、疲れ切った文字で私のフィールドノートに残されています。しかし、帰国し、論文に仕上げるとき、村の人と笑い合い、時には怒られたことを書くことはありませんでした。それでもフィールドワークでのすべての体験は無駄ではなく、数々の先行研究を読むとき、その背景にある調査者と現地の人々との豊かなかかわりに想像を巡らすことができるようになりました。

収穫作業中おしゃべりを楽しむ村の人々
村の人はよく、ツバメ猟の調査をする私に、「なぜ日本では野生の鳥を捕って食べる人がいないのか?」と聞いてきます。ツバメに限らず、獲って楽しい、食べておいしい生き物が身近にいるのになぜ?と言いたげでした。「生き物を親しく(身近に)感じること」とそれらを「捕らえて食べること」が矛盾なく成立する社会に行きたくて入ったASAFAS。現地での村の人々とのかかわりを通じ、親しみのある生き物を美味しく食べられることが矛盾しているわけではなく、それが矛盾したものと感じるのが私の育った社会であったのだと考えるようになりました。まだまだ知らないことばかりのフィールドにこれからも通い続け、新しい発見や驚きをどのように理解し、伝えようか、悩み奮闘し続けたいと思います。