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第3回(通算第28回)
「パキスタンにおけるNGO活動―宗教と民族がもつ活力を探る―」
子島進:連環地域論講座

Contents

1.カラーコラムの村から

2.宗教センターと社会サービス

3.外からの力をうまく利用する

4.カラーチー

5.イーディー福祉基金

6.慈善事業家=イスラーム聖者?

7.オーランギー・パイロット・プロジェクト

8.まとめ

カラーコラムの村から

 まずは写真をご覧いただきたい。1984年以来、私が調査を続けてきたパキスタン北部、カラーコラムの山岳地帯の典型的な風景である。標高5000〜6000メートルの山々に囲まれた狭い谷間に、村々が点在する。この写真のあたりは、今でも一番近い町からジープで14、5時間かかるが、一昔前までは、3日間歩いて町に出ていたと言う。
 この地域はまた1970年代初頭まで、複数のラージャーあるいはメヘタルと呼ばれる支配者によって統治されていた。1947年のパキスタン成立以後も、彼ら土着の支配者は領内の紛争を裁定し、年貢を徴収していたのである。多くのパキスタン人にとって、カラーコラムが「秘境」としてイメージされていたのもうなずけよう。
 このラージャー制を廃止したとき、パキスタン政府の行政は、実効力を伴う形でこの地域に浸透することはなかった。「伝統的なくびき」から解放された人々は、当然学校や病院、あるいは裁判所といった「近代的制度」へのアクセスを求めた。しかし、待ち受けていたのは彼らを欲求不満に陥らせる「制度的空白」状態だったのである。
 この空隙を埋めるべく活動を展開しているのが、アーガー・ハーン財団である。同財団の系列組織によって、教育、医療、農村開発、建築文化振興が積極的に推し進められている。この国際的に有名な開発NGOの展開は、実はカラーコラムに多く住むイスマーイール派(イスラーム・シーア派の一分派)の宗派復興と密接な関係をもっている。
 宗教集団や民族集団の活力がNGO活動に生かされている事例は、なにもアーガー・ハーン財団のみに限定されるわけではない。広くパキスタン全体の文脈でこの問題を追及することが、現在の私の課題である。それによって、「イスラーム復興」と呼ばれる現象の社会的な広がりについての理解を深めるとともに、ともすれば国民統合の妨げとして否定的に扱われがちなパキスタンの民族・宗派集団を、積極的に捉えなおす契機ともしたいと考えている。


パキスタン北方地域ギズル県、パンダル村の風景