応地氏は、ヒンドゥー世界における都城の理念と形態を、中国さらにはイスラーム世界のそれと対比することを通じて、都城思想におけるヒンドゥー的特色を析出された。氏はまず、古代インドの政治論書であるアルタシャーストラの都城論を用いて、古代インド都城の形態を復元され、それがヒンドゥー世界のコスモロジーを背景とするきわめて高度で明確な都城思想に基づくものであることを示した。ついでそこに明らかになった古代インド都城思想の理念と形態を、中国のそれと比較考察された。
ヒンドゥー・中国両世界の都城思想は、その基本形態においては、方形、十六街区、旁三門などの性格において一致するものの、他の諸指標においては基本的な相違を示している。
すなわち、
1) 古代インドでは、都城の内部構成はコスモロジーによって規定されるものの、都城の位置付けについては規定されない。古代中国では、都城の位置はコスモロジーによって決定されるが、都城の内部構成については規定されない。
2) 古代インドでは都城中央が神域であるのに対して、古代中国では宮闕が位置する。これは王権思想の相違を反映している。すなわち古代インドにおいて王権が教権に従属するのに対し、古代中国では教権をも包摂する神聖王的・超越的王権観念がある。
3) インド都城は同心囲帯・等方性の特徴を、中国都城は南北縞帯・非等方性の特徴を有する。これはインド都城の内部構成全体がコスモロジーを反映しているのに対し、中国都城においてはコスモロジーの体現者としての天子との関係によって構成が規定されていることによる。
さらにイスラーム世界との対比において、古代インドの都城の内部構成がコスモロジーの所産であるのに対し、イスラーム世界では都城の内部構成はコスモロジーと無縁であることが指摘された。ただし、小杉泰氏の説では、イスラーム世界における都市群の配置はコスモロジーを反映しているとされていることも付け加えられた。
これまで都城論は、中国を中心とする東アジアに限定されて語られることが多かったが、応地氏は都城概念の東アジア的バイアスを断ち切り、古代インドの都城思想を明確に析出された。さらにそれを中国世界およびイスラーム世界と対比することを通じて、その特色を明らかにされた。分析は緻密で、視野は壮大である。応地氏の都城論は、比較都市論の新領野を開くものとなるであろう。中国都市論やイスラーム都市論の専門家とのさらなる対話が期待される。 (田辺明生)
|