フィールドで撮る写真のなかで最も少ない被写体は自分の姿だろう。これは、ある別れの朝、一人一人が私の手首に綿糸を捲いて故国への生還と再会を祈る場面である。「押すだけでいいよ」とインスタントカメラを村の若い女性に託したが逆光撮影になった。1984年から85年にかけて東北タイ農村を数多く訪問した。汗と時間が虚しく流れるばかりの日も多かったが、突然目の前が開けるような高揚感にも浸ることがあった。そして出発点となったコーンケン県D村に戻った。奇妙なことに、前年に一年近く暮らした村は、広域調査を終えて戻るとまるで違う村にみえた。理屈ではないフィールドワークの不思議を体感した時である。丸7年後、南ラオスのタオーイの村に滞在した時、この感覚は言葉をもった。とろりとした朝陽がさしこむ森のなか、黒豚の家族に囲まれて排泄する私。見たい聞きたいと彷徨うが、気がつけばこちらが眼差しに晒されている。丸裸にされ錯乱する心身。だがロゴス以前の圧倒的な質量をもつ何かと遭遇するのは、居心地が悪いその時なのだった。フィールドワークは誰もが履修できる課目である。同時に、誰もがなしえることではないのかもしれない。食事や言語を含めて異なる環境への適性能力もある。それ以上に、現地語を学び使うことがそうであるように、濃密で面倒な人間関係に身をさらす覚悟そして愛がいる。そんな資質は生得的なものではなく、丸ごと我が身をおくその場で体得される。さらに、そこで十分生きて理解するには、対象に近づく努力とともに、再び自らの孤独にたち戻る必要がある。そのような心身の代謝を繰り返してフィールドワークは成就していくらしい。単調な活動と自分を壊しては築くうちに、つま先から脳髄まで覆っていたものが瘡蓋のように見えてくる。出来映えは別にして、他者との関わりの中で手にできるもの、それが自画像なのだろう。「自己」不在の地域研究はしたくないものである。 |