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東南アジア地域研究専攻
第6回 長津一史:地域進化論講座

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「高床の下で網を修繕するサマの老人(フローレス島ラブアン・バジョ沖合)」


ジャカルタでの仕事が一段落したすきをついて、1月にフローレス島を訪れました。いつもの通り、サマ人の村に行って話を聞くのが目的でした。サマ人は、フィリピン南部から、オーストラリアにほど近いこの島、そしてさらに東に至る広い海域に居住しています。フローレス島では、西端のラブアンバジョや北東岸のマウメレ周辺の、やはりサンゴ礁に近い沿岸部や小島で、漁業を営んで暮らしていました。
フローレスはぜひ来たかった島でした。ひとつは、移動の歴史に関する興味のゆえです。19世紀の後半、フィリピン南部のサマ人――かれらは「海賊」でもありました――が、植民地海軍の攻撃を逃れてフローレス島北岸に移住したという記録があります。フィリピン南部からインドネシア東部に至る海域には、サマ人が植民地支配の囲い込みに対処できるだけの移動ネットワークがあったようです。その足跡をたどり、フィリピン南部のサマ人の言語や起源神話が移住先のこの地で維持されているか、確かめてみたかったのです。残念ながら今回聞いた言語と神話は、フィリピン南部のそれとはかなり異なっていました。それでも100年以上前にかれらが築いていた、1800kmにおよぶ海のネットワークの一端に触れることができたように思い、ひとり喜んでいました。
もうひとつは、ここからさらに南東、オーストラリア北岸の海に至るかれらの移動について話を聞いてみたかったからです。主に中国向けに出荷されるナマコやフカヒレ、あるいは高瀬貝などの漁場を求めて、サマ人は南と東とに向けた海上移動を展開してきました。出漁先の南東端がオーストラリア北岸の海で、フローレス島はその出漁拠点となっているのです。
80年代後半からオーストラリア北岸で、「違法」越境したサマ人の漁船が拿捕される事件が相次ぎました。それでもかれらは豊かな漁場を目指して出漁を繰り返しています。国境パトロールの動向を調べその裏をかく、あるいはパトロール船が通過できない浅い水路を逃げ道として使うなど、様々な手段を講じながらです。またこの出漁を契機として、かれらの移動ネットワークはさらに東のアル島、あるいは南のロティ島など、国境の前線へと広がっています。短い時間でしたが、そんなワクワクする話を聞くことができました。国境という人為的な境界線をかれらがどう考えているのか、それにいかに対処しているのか。そんなことを考えるために、フローレスにはまた足を運ぶことになりそうです。
From: 長津一史 (地域進化論講座)