第6回
Dance With Money
細田尚美 (東南アジア地域研究専攻・地域進化論講座)
ワライの人々
フィリピンのビサヤ諸島の最も東に位置するサマール島。国内で3番目に大きいこの島は、隣りにあるレイテ島とともに、フィリピンの八大言語の一つワライ語を話す人々のホームランドだ。そもそも「ワライ」という言葉の意味は、「無い」である。なぜこの辺りの人々や彼らの言語が「ワライ」と呼ばれるようになったのか分からないが、フィリピン一般でサマール島のイメージといえば、「特に何も無い」「開発が遅れている」「貧しい」など。「ワライ」という呼称と無関係でもなさそうだ。
島内には大きな都市もこれといった産業もない。1980年代後半には、自然災害が相次いで発生したうえに、国軍と反政府ゲリラの衝突も激しくなり、島を離れる人が増えた。そのため「見捨てられた島」とも呼ばれている。私は、こうして島を離れた人たちが新しい土地で生活を再編する様子を調べている。
クラッチャ
そんなサマール島を初めて訪れたとき、ひとつ珍しい経験をした。本物のお札をパーッとまきながら踊るというものである。クラッチャと呼ばれるこの踊りは、求愛をテーマとして男女1組が観衆の前に出て踊るフォークダンスで、フィリピン各地(特に農村部)で見られる。多くの地方では最近すたれてきているらしいが、サマール島ではそんな気配はない。また、踊っている最中にお金をまくというのも、他の地方ではあまり聞かない話だ。逆にサマール島では、この習慣が年々派手になっているという。
初めてクラッチャを観たのは、島内の町のフィエスタ(祭り)の最中で、町や周辺の村から千人を超える人たちが集っていた。最初はディスコ音楽に合わせて百名ほどがステージで踊っていたが、「クラッチャ」とアナウンスされると全員観客席に戻った。それから名前をアナウンスされた男女のペアが順に中央のステージで踊り始めた。どのペアのときにも、クラッチャの曲が中盤に差しかかると、踊っている人はポケットから紙幣を取り出し、パッとまく。ほかに、踊っている人の友人や町の有力者もステージに出てきて、同じことをする。
このときのポイントは、あらかじめ10あるいは20ペソの少額紙幣をたくさん用意して、紙ふぶきのようにお札が宙を舞うように投げることだという。10ペソは約25円だが、サマール島の農村部では日本でいう1000円札ぐらいの価値がある。初めのころ、踊っている男性はお金をまくが女性はしなかったので、男性がお金を持っていることを証明するしぐさなのかと思った。だが、県会議員の女性が踊ったときには最も派手にパーッとまいていたので、男性だけの行動ではないと知った。
お札をまく
そう眺めているうちに、外国人の客ということで私の名前も呼ばれた。パートナーの男性は50歳代ぐらいの村長さんである。曲の調子が変わり中盤になると、招待席の人たちがステージに出てきてお札をパラパラとまいた。そのとき、副市長が私の方に歩み寄ってきて、私の右手に二つ折りにした札束を握らせ、ささやいた。「これを使え」
握った感触では、15枚ぐらいあっただろうか。「人前でお札をまくなんてどういう気分なんだろう。一生に一度の経験かも」と思い、花さかじいさんが灰をまくように、一気に宙に飛ばしたい思いに一瞬かられた。しかし、パートナーの男性が3枚のお札を散らしたのを見て、我に返り、私も3枚だけパラパラと落とすにとどまった。
そのココロは
このばらまかれたお札だが、これは各ダンスが終了するたびに集められて、パーティの主催者に渡される。日本などでも祭りのときはいろいろな人に寄付を頼み、寄付をした人の名前を掲げたりするわけだが、それとクラッチャでまかれるお金の原理は、資金集めという意味で同じようだ。
ただ、それだけではないらしい。地元の人によると、この求愛のダンスで男性がまくお金は、彼に経済力があり、と同時に、彼の友人もお金をまくということは彼らもこの男性に援助できることの証しなのだという。また、町の有力者にとっては、彼らが日々得る利益をコミュニティに一部還元する機会でもありうる。さらに、政治家にとっては、地元民の目の前で、彼らに金、つまり力があることをアピールする絶好の場になる。それにしても、国内でも最もお金と縁がなさそうなサマール島で、どうして踊りとお金をまく習慣が一つになり、それが年々盛んになっているのだろうか。
冒頭で書いたように、サマール島は一見何も特徴のない島に見える。しかし、時間が経つにつれ、なんともいえない不思議な物事に遭遇するようになる。そんな魅力のある場所に思える。
ところで、私に札束を握らせてくれた副市長はその後、市長選に初挑戦したが、フィエスタのときの散財のかいなく、散ってしまった。